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2007年12月16日 (日)

地名の変化

 広谷台の南の突端にアプライト岩脈がとびでて奇勝となり「鬼の唐手岩」と呼ばれている。ロッククライミングの練習場となっている。初めてその呼び名を聞いた時、『ん?』と思った。名付けた意図が想像できず、すんなり飲込めなかったのである。
Dsc04174 さらに南、その岩脈の延長上のドリーネを「滝不動(タキフドウ)」と呼んでいる。これもいぶかしい(というかマギラワシイ)ネーミングだと感じていた。千仏洞の南側、不動洞から流下するトゥファの急流を「不動滝(フドウダキ)」と呼ぶからだ。
 最近、故溝口連氏の記述の中に「鬼の唐戸」「竜不動」という文字を見つけ、ハッとした。他の文献などでウラが取れないので確証もなく、取りあえずの可能性としてブログに載せようと、今日写真を撮影に行った。
 広谷から青龍窟に降りる斜路に差し掛かって、大勢の読経と螺貝の音が聞こえた。そして幸いにも青龍窟の入口で、修験道姿の古老に聞き取りをすることができた。
 「オニノカラト」は修験道のヨウサイで、かつてはノゾキという修行の場であった。「タツフドウ」には滝の姿をした竜神がいて、信者がそこで水垢離をしていたとのことだった。修験道の仲間うちでも「カラテ」という人が最近出て来ているとも。字はわからないと云っていた。たぶん「鬼の唐手岩」は「鬼の唐戸」から変化したものだろう。
 貫入溶岩の岩脈を巨大な戸に見立てる地名なら余所でもよくある。また青龍窟の天の岩戸伝説にも通じる。鬼の空手チョップが石灰岩に食い込んでいるイメージの方がマンガチックでウケはいいかもしれないが・・・・。ちなみに最も古い「唐手」の記述は、前田商店で保管されていた横田直吉氏(旧平尾台センター長)の手書き地図や1968年発行の登山ガイド地図。
 そういえば「青龍窟」ももとはシヨウロガイワヤと呼ばれ「鼠石崫(ネズミノイワヤ)」と字をあてていたようだ。ネズミの意味は根の国に住むもの(の洞)ということか。それがソセキクツ→ショウロウクツ(青竜崫)→ショウリュウクツ→セイリュウクツと変わって来ている。「鼠」ヘンに「石」ツクリ---->「鼠石」というと、鼠石でモモンガ 鼠吾でムササビなので、飛ぶネズミ(コウモリ?)のいるいわや(洞)ということが名前の始まりかも知れない。鼠石・鼠・崫(セキ・ソ・クツ)が青・龍・窟(セイ・リュウ・クツ)に、つまりネズミの巣窟が龍の宮殿に変化した事になる。
 一連の変化は、1950年代に始まり、1970年代に固定したようだ。文化財指定や観光施設開設、舗装道路開通と期を一にする。

Dsc04216 同じく「大かんの台」が「大かん台」に変化しつつある。山の斜面を焼いた跡に収穫される蕎麦=カンノソバのように、刈野(カンノ)という焼畑農法名残の知名だろう。ダイカンダイでは「大観台」や「台観台」とかに変わってしまい、由緒由縁を後世に残せない。

2007年12月 6日 (木)

本穫的な霜

Dsc039072Dsc039112 今朝は寒く、麓でも霜が降りた。よろこんで?平尾台に上がってみると、道端の水たまりに氷がはり、吹上峠〜平尾集落〜川ドリーネ〜不動坂にかけて、真っ白になっている。足下の草原から大きな木の梢まで霜が付いている。かなり冷え込んだようだ。Dsc039192
Dsc03924 川ドリーネの草紅葉も真っ白。朝日の逆光で透かすと、うねうねとした雪原のようにも見える。あさげの煙か、平尾盆地の20mくらい上を、蓋のように覆っている。比高からすると、吹上峠の高さ(標高380m)くらいだ。自然の郷(標高400m)で0℃まで下がったので、蓋(気温の逆転層)の下はかなり冷え込んだはず。Dsc03926Dsc039302
 まだまだ豊かに葉を付けていたイチョウの木からは無風なのに、どの木もいっせいにまっ黄色の雪みたいにハラハラ落葉している。

2007年12月 2日 (日)

ど根性イチゴ

 平尾台自然の郷の用地は、石灰鉱山の残土で造成されている。そのため地盤が硬く不透水性でおまけに強アルカリ性、園芸に適さない。風景をやわらげるため、樽や鉢、プランターを使ってガーデニングしている。
 その樽から鋪装の上にこぼれ落ちた種が、芽を出し、花を付け、実がなった。根元をよく見ると歩道ブロックの目地(継ぎ目)に根を降ろしている。スタッフに「ど根性イチゴ」と呼ばれているらしい。Dsc03886Dsc03887

2007年12月 1日 (土)

ネザサの黄葉

 例年のこの時期、ススキの穂は枯尾となり、ネザサも茶色くなって、平尾台全体が褐色の冬景色に変わる。今年は夏から秋の豊富な日照、台風のない穏やかな気象条件が続いたおかげか、平尾台草原はきれいに草紅葉した。11月末に「木枯らし一号」も吹き、いよいよ冬枯れかと思っていたら、もうひとつ素晴らしいプレゼントがやってきた。Dsc03833Dsc03815
 それは、ネザサの黄葉。笹の群落はススキとともに、平尾台を代表する景観。しかし平尾台などにわずかに残されてはいるものの、消失が危惧される植生である。
 写真2点は、吹上峠の北側のドリーネと斜面で黄葉した根笹の近景と遠景を撮影したもの。遠目には枯れているように見えるが、1枚1枚の葉をみると、綺麗なモミジである。つい1週間前まで、ドリーネ底の竹の葉と同じ濃い緑色をしていたのに。

平尾百仏

 平尾台の玄関口「吹上峠」の東側のドリーネ越えに、石灰岩がかたまって露出しエノキやグミが茂みになっている。そこに約70体の石仏がまとまって祭ってある。平尾台にはもともとおよそ100体の石仏があり、四国八十八箇所のような霊場めぐりのミニチュア版があった。
Dsc03790 当時の吹上峠には13体の石仏があり、他は羊群原や散策道沿いや洞窟に置かれていた。沿道は寄進者たちが草刈し整備していた。平尾台の中心部が1952年に文化財指定され、1972年に国定公園特別保護地域になり公有地化の流れの中、点在していた石仏は吹上峠に集められた。いまでも所々のピナクルに石仏の台座や花台の跡が残る。
 刻まれた文字によると、古い物は文暦元年(1234)とあり、新しくは昭和のものもある。いろいろな信仰が寄り集まったようす。県道からも、登山道からも離れていて、一般観光者はほとんど立ち寄らず、静かに時間が止まったような空間である。

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