平尾台戦後史(その9)
平尾台の平成時代
平成6年、小倉側からのみ平尾台に通じていた「県道直方行橋線」が完成し、行橋方面に通じた。交通は便利になり通行車は多くなったが、遊園地や観光センターも相次いで閉鎖され過疎や荒廃も進んだ。この後の平成12年に「福岡県平尾台自然観察センター」が、平成15年に「北九州市平尾台自然の郷」がオープンする。両施設とも、平尾台の自然保護地域ではなく、境界線の西側に立てられた。特に平尾台自然の郷は開発エリアと保護エリアの間に分け入るように位置している。
緩衝ゾーンの恊働事業
平尾台自然の郷の前身の計画「ハートランド平尾台」は100億円以上を投じるテーマパーク構想であった。元々、平尾台にあった遊園地運営会社と鉱山会社が市に提案、協同出資し第3セクター方式での運営を目指すものであった。バブルの崩壊でテーマパーク構想は挫折、公設民営の公園運営会社と変わった。
かつて、開発か保護かをめぐって対立したどうしが、緩衝ゾーンで行なっていく恊働事業、それが平尾台自然の郷なのである。そして働くスタッフ・ボランティアの多くは、近隣地域の人々である。
振り返ると、今平尾台で最も親しまれている、大平ー羊群原の景観を始めカルスト台地北東部がまとまって残せたのは、当時の小倉市の執念と地域住民・開拓民の協力のたまものである。よく守ってくれたと思う。そのために人々が無くした夢や権利も少なくない。本当に悔しかっただろうと思う。そういう思いもパークは背負っている。
平尾台これから に つづく


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