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2010年3月19日 (金)

野焼き完了

 4回延期された2010年の平尾台野焼きは、やっと今日終わった。湯布や長崎の事故の後であり、気象条件を慎重に選んでのことでもあり、関係者のご苦労には頭が下がる。
 実は今日の実施もギリギリのラインだった。昨日(3/18)の夕刻の会議のこと。3/18日(野焼き実施前日)の午前から昼過ぎまでに4mmの雨が降った。その後午後も太陽は出なかった。17時発表の天気予報は、18日夜晴れ、19日は日中晴れだった。普通前日に降水があると延期にする。枯れ草の立っている部分は乾いても、根元のフォールリーフが乾いていないとうまく燃え広がらない。会議に前もって野焼き委員会から、平尾台上の気象状況/予報/草原の状況の問い合わせがあり、言外に実施したい強い意向が感じられた。というのもさらに延期となると3/21のクロスカントリーに間に合わない。次の予備日3/24も気象条件は良くない予報。3/28となると平尾台クリーン大作戦が年度繰り越しになる。とはいえ現時点の状況はマイナス要因ばかり。枯れススキや根ザサの足下をめくってみてもぐっしょり濡れていた。明け方地表気温が下がって凍結しなければ良いが....。
 プラス条件は、18日夜から19日朝にかけて風が強く、19日は朝気温が3度と低く日中日差しとともに10度ほど気温が上がる予報。風と気温上昇は乾燥をもたらすミカタだ。それを(マイナス点は話せなかった)伝えたところ実施の意を強くされたようだ。会議後「実施」と決まった旨、電話があった。ところが帰宅のためマイカーのハンドルを握ると、フロントガラスに細かく水滴が付いている。ぎょぎょっ!結局ワイパーを動かしながら帰った。
 今日朝は4時起きした。平尾台上は3度、雲がかかっていたのが幸いし放射冷却にならず、霜は降りなかったようだ。黎明頃に全天の雲が消えた。まだ草の根元は乾いていないが、快晴になって乾いた西風が入れば昼頃には野焼き可能の条件が調うはず。7時を過ぎて中止の連絡がないのでGOサインだろう。8時に電話をすると、第一次火入れを30分遅らせ11時開始とのこと。10時に気温は10度まで上昇、湿度は35%まで下がった。11時に山頂から火が入った。南西風5mで斜面を下から上に吹き上げる風。逆風なのでなかなか燃え広がらない。「やっぱり湿っていて燃え難いのか?」関係者は一様にそう思ったかもしれない。時間が経つとともにじわりじわり燃え広がり、麓から火入れする第2次火入れのタイミングとなる。今度は順風だが先日の重い雪で枯れ草が倒伏しているので、一気には燃え上がらず、ちょうど良い速度で斜面を炎が登って行った。
 結果、例年にない「燃え残りが無い」「延焼が無い」「危険が無い」野焼きとなった。また開始の遅れで午後の3次火入れも30分遅れたが、完了は30分早まった。午後も湿度40%、5m程度の順風(西風)に恵まれたからだ。前日の心配は幸運にも全て裏切られた。R0011484
 写真は、吹上峠付近の野焼き後の状況。防火帯/外周/野焼きエリア/1月末の火災跡(左端ドリーネ一帯)を比べて見て欲しい。今日をスタートにそれぞれの範囲がどう春を迎えて行くか見守りたい。

2010年3月13日 (土)

野焼きの延期→3/19

 今年の3月、平尾台は降水が多い。その影響で「野焼き」が出来ない。何度も延期され当初の2月28日から3月19日に半月以上もずれこんでいる。一方、暖かい雨が多い影響か、台上の春はいつもより少し早めに進んでいるように感じる。
 遅い時期の野焼きが自然に与える影響を心配する声がある。確かに影響がないとはいえないだろうが、私自身は自然はもっとしたたかだと思う。一旦芽吹きが始ってから野焼きの熱にさらされるとその芽は枯れる。しかし山野草はタイミングをずらし次の芽を用意する。種によって異なるだろうが、自然の物はリスク分散のため、一定の期間の幅を持っている。これが栽培種だとそうは行かない。人の手によって栽培されると発芽や結実のタイミングが揃ってしまっているので大きなインパクトを受ける。
 平尾台は遠い昔から野焼きや採草が行なわれて来た。その環境に適応した種が自生している。だから野焼きの時期がずれることより、野焼きが出来なくなる方が環境を大きく変えてしまう。
 5月ころに防火帯を歩き、内外を比較するとおもしろい。1)火を入れなかった部分、2)昨年の9月ころ刈り取られ火を入れた防火帯、3)今年火入れされた部分を比較して見る。2)の部分に多種多様の植物が見られる。
 また例年野焼きに遅れて1ヶ月の間に林野火災が発生するが、その部分が正規の野焼き範囲とどう違うかということもおもしろい。今年は吹上峠あたりが1月末に焼けた。そこが他とどう違うか興味をもって見守っている。

2010年2月22日 (月)

平尾台野焼き2010は2/28

 例年3月の第1日曜に行なわれる「平尾台の野焼き」だが、今年は2月28日に予定されている。野焼きに先立って、平尾台自然の郷ではパーク外周と野草園・展望台などの枯れ草を焼き払う。パーク隣接地も午後の野焼きで火入れされるので、引火防止対策だ。初めて野焼き見学会をしたとき、野焼きの火が園内の芝生や野草に飛び火してびっくりしたことがあり、以降は事前に防火帯を作っておくようにしている。
 今年の作業で感じたのは、「よく燃える」ことである。暖冬のときは燃えが悪く、凍結や積雪の多い時はよく燃える。フリーズドライ効果で乾燥が進むのかもしれない。
 このあいだ吹上峠付近で山火事があった。野焼きの前に私有地のまわりに防火帯を作っておくことがあるが、そこからの失火だった。野焼きの前の山火事は恐い。下手をすると平尾台上全部に延焼する恐れもあるからだ。昨年の湯布、今年の長崎の事故では野焼きで人が亡くなっている。
 パーク内外の事前準備は滞りなく安全に終了した。あとは野焼き本番を迎えるばかりだ。

2009年6月 6日 (土)

日本の地質百選

 平尾台が日本の地質百選に選ばれた。地質学的に見た、日本の貴重な自然を顕彰するために、2007年5月10日に第一次選定として83箇所を選び,2009年5月10日[地質の日]に第二次選定として37箇所が選ばれ、そこに「平尾台カルスト」が入った。また「秋吉台・秋芳洞」は2007年の選定箇所の1つである.これで都合120箇所の地質百選が選定されたことになる。
 主体は、「特定非営利活動法人地質情報整備・活用機構」と「社団法人全国地質調査業協会連合会」が共同発案設立された「日本の地質百選選定委員会」によるもので、規制や補助活動を行なうものではないらしい。申請に写真資料提供など協力したので、昨日認定書のコピーが届けられた。
 日本百名山とか「百○●」に平尾台はなかなか入らないが、地質と少しマニアックではあるが喜ばしい話題である。一方、日本の地形レッドデータブックによると、平尾台は表紙を飾る4箇所の1つとなっている。

2009年4月 4日 (土)

ドリーネ清掃

 パーク内にある、縦穴;はる穴の掃除をした。直径5m、深さ20mほどある岩穴のまわりに生えた植物を取り除いた。平尾台にはこういう縦穴が無数にある。しかしほとんどが表土に覆われて埋まり、見えなくなっている。
P1240559 水が流入しながら石灰岩地を溶かすと垂直や急勾配の洞窟となる。逆に石灰地から流出している場合は、水平や勾配の緩い鍾乳洞を作る。川の支流と河口を数で比較するように、洞窟の(水の)入口と出口では、入口が多いだろうから、平尾台上には数えきれない程縦穴があるはずだ。このドリーネデッキと呼んでいる30m四方の範囲に4つもの縦穴があることもその証拠と云える。
Photo はる穴は比較的最近に再出現した穴だ。まず穴そのものが出来たのは10万年以上前、その穴が8万年前頃の阿蘇大噴火で埋まる。30年ほど前、土砂が溜まったドリーネの底に設置してあった水道設備が漏水を起こしていた。その水が徐々に土を流失させ、再び縦穴が現れた。
Rimg0172 パークを作る前この縦穴に大きなコンクリート水槽が傾いて乗っかっていた。壊して埋めてしまおうという話もあった。世界中に他例がない事象としてそのまま残してと希望したが、水槽は撤去・縦穴はデッキを作って公開ということになった。

 台上の宅地も、上記と似た条件下にある。平尾台は平坦地がピナクルとピナクルの間やドリーネ底の堆積土の箇所に限られる。そこに畑や家がある。ピナクル間やドリーネ底には隠れた縦穴があり何時顔を見せるかわからない。カルスト地に暮らす人につきまとう心配事である。

2009年3月11日 (水)

野焼き当日(午後)

2009年3月8日(日)

 午後は、堂金山・川ドリーネ・三笠台・大かんの台方面と、平尾集落と平尾台自然の郷の外縁部、に火入れされる。パーク内から火が間近で迫力ある景観が見られるが、風向きによっては煙や火の粉が飛んで来る。事前に園内の枯れ野は焼いてあるが、万が一に備えて自営消火隊を配置してのぞんでいる。
 スタッフ顔で園内を歩くと、10歩以内ごとにゲストに呼び止められる。句会であろう、メモ用紙を手にした人、大きなカメラを何台も首にぶら下げた人、次々と質問攻めにあう。
 午前中の遠景パノラマも良いが、すぐ眼前でバチバチと大きな音をたて、頬や額に熱を感じ、目や鼻を突き刺す煙臭。五感総動員で体感する「平尾台の野焼き」だ。今日が野焼きと知らず来園したゲストもフェンスの向こうの炎に見入っている。Dsc_0173R0111049R0111050

2009年3月 9日 (月)

野焼き当日(昼)

2009年3月8日(日)

 第一次火入は、大平山・四方台・周防台の頂上から尾根沿いに下りながらガスバーナで着火して行く。野焼きの着火場所にはルールがある。高い所から、風下から着火する。「火と水の流れは逆」と云われるが、低い所からあるいは風上から火を放つと大きな炎が猛スピードで走り危険だ。
 今日は南東風。周防台〜桶ヶ辻方面は、下降気流が追い風となり火が綺麗な列と成って山腹を下って行く。一方、大平〜四方台方面は斜面を上る風が向かい風となるので、火が山腹に燃え広がらない。例年は北西からの季節風なので対照的な現象だ。しかしある程度燃え下がらないと、第二次火入で麓から火入すると一気に山腹を駈け上り、尾根の防火帯を越えて延焼してしまう。
 心配しながら見守っていると、大平台から吹上峠に向かって縦方向に付けられた火が、山腹を横走り始めた。これなら尾根は越えない。さすが伝統の野焼き技術、炎列の制御が見事だ。
 やがて尾根を降りた火入従事者が山麓に集結、第二次火入だ。吹上から平尾の森の外周、手島基地から広谷・中峠・茶ヶ床・見晴台と低い位置から着火。この時は盛大な炎が草原を駈け上る。
Dsc_0132R0111057

野焼き当日(朝)

2009年3月8日(日)

 野焼き当日、パークマンは4時起き。ただちに出勤して気象状況を確認。駐車場・門を開錠、休憩所・飲食物販施設のセキュリティ操作、スタッフメールの発信などをすませていく。
 平尾台野焼き委員会のメンバーは日の出前に台上に集結する。6時半には通行規制の配備が行なわれ、気象観測をして、7時に実施の可否を決定する。7時現在、気温4度、湿度60%、南東の風3m/s。予報では日昼通して曇、降水確率20%、明け方曇ったので霜も降りていない、野焼き中止の要因はない。8:00野焼き集会、8;30火入従事者展開、入山者排除。
 その頃すでに「平尾台自然の郷」のゲート前には遠来の車が列をなしている。またひっきりなしの問合せ電話の応対に追われる。7:30駐車場開場、8:00ゲートオープン、シャトルタクシー整列、8:30特別見学会入場証発行開始、9:00ガイドミーティング。野焼きの朝は、一般入場者も出足が早く、ぞくぞくと詰め寄せて来る。9:30特別見学会締め切り、進入経路を確認して見学者の送り込み完了と出欠簿提出。
 ここから第一次火入10:30までがかなり長い。配置についた火入従事者・延焼防止の消防隊員・連絡用の無線機を背負った自衛隊員・カメラの砲列を構えた写真家たちが息をのんで花火の合図を待っている。例年なら北九州市航空消防隊のヘリコプターが上空で爆音をたてるのだが、今年はそれもない。1000ヘクタールの枯れ野に妙な静寂が渡る。
 10:30権現山の中腹で花火炸裂。呼応して消防車が一斉にサイレンを鳴らす。稜線に人々の小さなシルエットが立ち上がり、ゆっくり移動しはじめる。ネックレスのような火の鎖が尾根から山腹へ下がって行く。いよいよ野焼きの始まりだ。
Dsc_1130Dsc_0013R0111029

2009年2月17日 (火)

ゴミひろいトライク

 通勤に使っていた台湾製ATV(デザートキャット)を、貨物トライクに代えようと思った。理由は3つ。50ccのエンジンで平尾台登山道は、かなり力不足。通勤途上のR322は産業道路で、縦断方向に大型車が付けた轍があり、4輪バギーではハンドルを取られてすごく恐い。毎日往復20km乗ると、パーツが劣化したり脱落するが、モデルチェンジや少量輸入で交換パーツ補充困難。
 そこで目を付けたのが、荷台の大きいスクータトライク。排気量110cc、ギア3段変速、前輪が1つなので4輪車より轍に落ちない。作りが初歩的?で汎用部品が使える。中国製である。注文したのは北京五輪前だが、入荷したのは年を越した。整備とナンバー登録も1と月要した。110ccだが軽2輪(側車付き扱い)で普通免許で運転できる。
 今、運転に慣れるため、普通に通勤に使っている。まだゴミを拾うに到っていない。よって平尾台登山道のポイ捨てゴミが目立っている。
Srimg0021Srimg0022Srimg0026

2009年2月 5日 (木)

ミニ野焼き

Rimg0011 カルスト台地に春の訪れを告げる草原の火入れ。秋吉台では「山焼き」、平尾台では「野焼き」という。野焼きに先立って、パーク内の野草園や展望台の枯れ草を焼き払う。本番の野焼きの日に、飛び火して類焼しないように。その時期が今で、ミニ野焼きと呼んでいる。
 今朝から野草園に火入れしたが、なかなか燃えない。一昨日の暖かい降雨の後、まだその湿り気が残っているのと、よく見ると枯れ草の根元に、既にススキの新芽が膨らみかけている。あちこち燃え残ってマダラになり、一足早い末黒野というわけにはいかなかった。